曹洞宗
高雲山
観音寺の永代供養

観音寺について

歴史

高雲山観音寺はその寺院名の通り聖観世音菩薩をご本尊とした仏教宗派である曹洞宗(禅宗)のお寺でございます。曹洞宗の歴史は古く、鎌倉時代1277年、遡ること約780年高祖道元禅師様が我が国に開かれ、四代目の太祖瑩山禅師様が興隆されました。現在の両大本山である越前の永平寺、鶴見の聰持寺を曹洞宗の本山とするのはこのお二方が宗門における父母に当たるお方であり両祖大師である為です。

青森県十和田市三本木に位置する当山は、祖師方の法を相承し、地元の方々の有志の元、昭和六十一年に開創されました。新しい寺院ではありますが檀信徒の皆様にとってご先祖様を祀る為の聖地、また心の拠り所として身近に感じていただけるようなお寺として今日まで努めて参りました。当山が位置する十和田市三本木は、かつては「人も住めない三本木」不毛の大地と言われるほどでした。その「三本木原」に南部盛岡藩士新渡戸傳翁(「武士道」の著者、国際連盟事務次長として世界的に知られた新渡戸稲造の祖父)、長男十次郎、孫の七郎の三代が安政二年(1855年)三本木原開墾に着手し、安政六年(1859年)人工河川「稲生川」を完成させました。その後三本木の原野は開拓が進むものも、度重なる冷害や凶作、戦争、入植した人々の風俗習慣の違いと貧困など様々な苦難が続き、当時は寺が少なく不便を強いられておりました。その際に、当山開基である苫米地眞宗氏は亡き方々のためにお寺の建立を発願したとされています。

苫米地眞宗氏の言葉

「私が五歳の時、母と祖母を亡くし、その後の母も15歳の時に逝った。母や肉親への思慕の情は抑えようもなかった。昭和13年に、私は近衛歩兵第一聯隊に入隊した。南支那方面では多くの戦友の死傷に遭遇し、私も負傷して野戦病院に収容され、そんな中でもし生還できたら亡き母たちや幼くして逝った妹や、戦友たちの御霊を供養しようと心に誓った。」苫米地眞宗氏の近親者や有志協力の下、生涯をかけて観音寺の興隆発展に尽くされたと記録が残っております。

当山では、こうした先人達の思いと篤い信仰が根底にございます故、亡き人を偲び慈しむことが我々人間にしか出来ない尊い行いであるということを忘れず、未来へと繋ぐことに重きをおいております。いつの時代も目まぐるしく変わる世知辛い世の中ではありますが、現代における様々な供養の在り方も尊重しつつ、大切なことは大切なままに、観音様の慈悲に包まれる温かなお寺で在り続けるために、皆様と共に歩んで参ります。